24.怪我の功名

抗生剤による治療始まって少しすると、コルセットを作るため1週間後までに椅子に座った状態が取れるようになりなさい、と整形外科の医師から言われました。コルセットを作るためには型を取る必要があり、本当は立った状態が1番良いのですが、そこまでは無理だろうから、せめて椅子に座る状態が取れるようにということらしいのです。その時点では寝たきりで1人で寝返りもできない状態でした。それでも、電動ベットの角度を少しずつ上げて行き、なんとか1週間で車椅子に乗れるようになりました。型の取り方は机の上に座り、まず腰の廻りにサランラップを巻き、その上から石膏を浸ししたガーゼを巻いて行きます。固まったら切り込みを入れて取り外し完成です。コルセットはそれから数日で出来上がりました。プラスチックのような素材の硬質のものです。価格は4万円位でした。ここから保険が適用されますが、一旦全額を業者さんに払った後、医師の証明書と領収書で、健康保険組合へ請求すると7割の金額が払い戻されます。


その頃、治療状況の確認のため、レントゲン撮影も必要になりました。その為には撮影台に移動しなければなりません。これも、決死の思いで、男性の看護師と医療技師の介助を受けてなんとか撮影することができました。


寝たきりの状態ですと、自分で食事ができません。それで、看護師さんなどが食べさせてくれました。若い、きれいな看護師さんに食べさせてもらえると、ちょっとだけ得した気分です。奥様にも食べさせてもらいました。新婚の頃にもそんなことしたことありません。それが以外に自然にできてしまいます。体も心も弱っていると何でも普通に受け入れてしまいます。


こうしているうちに、幸いにも抗生剤の点滴の効果もあり、徐々に回復して来て、手術の話も無くなりました。点滴は5月18日から6月30日までの約一ヶ月半、それから抗生剤の服用を7月1日から13日まで行いました。

炎症などの度合いを示すCRP値の変化です。正常の目安は0.3以下です。

5月18日  14.3

5月23日   6.67

5月26日   1.61

6月 2日   0.44

6月16日   0.22

6月23日   0.05

7月14日   0.04


回復に伴い、リハビリも始まりました。最初は立ちあがることすらできませんでした。低い平行棒のようなものに捕まって立ち上がり、それが出来るようになると平行棒に捕まったまま少しづつ歩き始めます。それも出来るようになると今度は歩行器を使っての歩行練習です。そして、杖による歩行へと移って行きました。


ところで、腰の痛みに気を取られ、気づいて見たら筋炎の症状がすっかり治まっていました。痛かった背中の痛みも取れ、皮膚の状況も過去一番良い状態となっていました。脊椎炎の治療での抗生剤の点滴が筋炎にも効果があったと考えるほかありません。主治医は「怪我の功名ね」とおっしゃっていました。


こうして7月15日が退院と決まりました。今回は4ヶ月と少しの入院でした。


気分はいつもハットトリック ~皮膚筋炎闘病記~

50を過ぎてこんな人生が待っていようとは、 普通のサラリーマン生活を送り、定年も見えてきた50代半ば、指定難病である「皮膚筋炎」になってしまいました。まさか自分がいわゆる「難病」になるとは夢にも思っていませんでした。 この先どの様にこの難病と付き合っていくか、貴重だった時間が余ってしまっている今、闘病記録の整理と、同類の病の人に何かの参考になればと思い闘病記を書いてみることにしました。

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