16.療養生活 少しづつ回復、しかし副作用も

この頃(2,013年12月末)の体の状況は、握力左右15kg、腕は頭に手を乗せるくらいまでしか上げることができず、松葉杖を使っても歩ける距離は50m位でした。


自宅での療養生活は何もしない様でいて、入院中よりは体を使うようになっていて、体力も徐々に回復して行きました。

ベッドではなく、ソファーに座っている。トイレまでの距離が病院より長い。必要なものを取りに歩く。食事の都度移動する。パソコンを使用するために移動する。など、この程度でも入院中より体力を必要としているらしいのです。


退院して1,2週間程度でゴミ出しに行ける程度になりました。少し歩けるようになると家の周りを散歩できるようになり、少しづつ歩ける距離が伸びて行きます。3ヶ月位で1日2km位歩けるようになったように記憶しています。この位歩けるようになると、ちょっとした買い物にも行けるようになります。この頃、杖の種類に、ロフストランド・クラッチと言う形のものが有ることを知りました。前腕を固定して支えるカフというパーツが付いた杖です。松葉杖と一般的な杖の中間的なもので、安定性なども中間ということになります。さらに、カフにはO型とU型があり、O型の方が安定しますが冬に沢山着込むと腕が通りません。


少し歩けるようになると、健康だった時には考えもしなかった思いをすることが度々あります。例えば、よくあるのは、変わりゆく信号をただただ見守ることしかできません。点滅を始めた信号は渡りきれないのです。それどころか、短い信号ですと、青になった瞬間から渡り始めないと渡りきれない場合があります。


自宅療養中での副作用と思われるものに、ゴールデンウィーク直前の夜、風邪のような症状かなと思っていたら、とにかく吐き気が止まらなくなってしまったことがありました。10分おき位に吐き気が襲い、もどしてしまうのです。翌朝、病院に連絡したところ、主治医から見ていただることになりました。点滴などの治療をしてもらって、吐き気止めや抗生剤を処方してもらいました。ステロイドによる免疫力低下により、重症化してしまったものと思われます。この頃のステロイド量は1日20mgでした。同じような症状が6月にも発症しましたが、この時はここまでは重症化しなくて済みました。


それでも、ステロイドの量は順調に減って行き、社会復帰の目安と考えていた1日20mgを切るところまできました。そこで、会社へ再出社の意向を伝えました。


出社に当たり、通勤経路の確認を行いました。手段としては、電車とバスがあります。車通勤も可能かもしれませんが、毎日の運転は自信が持てないため、公共交通機関を使うことにしました。電車とバス、それぞれ確認のため乗って見ました。その結果、バスの方が歩く距離が少なく済むことと、混雑した場所を通る必要がないことからバスを使うことにしました。

自転車を使うと20分位の距離なのですが、歩く速さが普通の人の半分位なので、結果1時間位かかります。しかし、自転車には乗れないので仕方ありません。


具体的な出社準備として次の事をしました。バスカードにネックストラップを使う。カードを落とした場合、拾うのが大変だからです。カバンは両手を開けるためにリュックを使うことにしました。中には1日分の薬と、お薬手帳などを常に入れています。

通勤には、松葉杖を使用することにしました。安定性が一番高く、廻りの人に体が不自由であることが一目で分かってもらえると思ったからです。


そして、産業医との面談の結果、出社日は7月14日で1日4時間の軽減勤務と決まりました。このような厚意に、会社に感謝です。

動けなくなってしまった日が、2,013年7月24日ですから約1年ぶりの出社となります。


ムーンフェースはこの頃がピークで、プレドニンは1日15mgでした。



気分はいつもハットトリック ~皮膚筋炎闘病記~

50を過ぎてこんな人生が待っていようとは、 普通のサラリーマン生活を送り、定年も見えてきた50代半ば、指定難病である「皮膚筋炎」になってしまいました。まさか自分がいわゆる「難病」になるとは夢にも思っていませんでした。 この先どの様にこの難病と付き合っていくか、貴重だった時間が余ってしまっている今、闘病記録の整理と、同類の病の人に何かの参考になればと思い闘病記を書いてみることにしました。

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