3.そんな殺生な

それでも点滴の成果と思われ、少しずつではあるが体調が回復してきました。しかし、原因は不明のままです。

CRPの値は下がりましたが、CPKと言う数値が初期は7000位あり、徐々に低下したものの2000位から下がりませんでした。

(CPK=筋肉が壊れると出る酵素で、強い運動をしても上がりますが通常は60~270)


原因を探るため、患部から注射器で吸い出したいとのことでした。

ナースステーションの奥でエコーにより確認しますが、それらしい所は見当たりません。(それはそうです。元々何も無いのですから)それでも、一番それらしい所に結構な太さの注射針を打たれました。めちゃめちゃ痛い。それはそうです。麻酔などしていないのですから。脂汗がでてきて耐えましたが、成果は当然何も無しです。ただただ虚しい。


少し回復したのでリハビリを実施することとなりました。

今から考えると良かったこととと良くなかったことがあります。

○良かったこと

 退院に向け、松葉杖の使い方や起き上がり方などを学ぶ。

○良くなかったこと

 皮膚筋炎としての治療を行っていない時点では安静とすべきであったこと。

 (病名が分かっていなかったので仕方ありませんが)

気分はいつもハットトリック ~皮膚筋炎闘病記~

50を過ぎてこんな人生が待っていようとは、 普通のサラリーマン生活を送り、定年も見えてきた50代半ば、指定難病である「皮膚筋炎」になってしまいました。まさか自分がいわゆる「難病」になるとは夢にも思っていませんでした。 この先どの様にこの難病と付き合っていくか、貴重だった時間が余ってしまっている今、闘病記録の整理と、同類の病の人に何かの参考になればと思い闘病記を書いてみることにしました。

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