2.入院、最初は本当に辛かった

7月24日 右足太もも裏に激痛が走り、動けないため救急車を依頼。家にストレッチャーが入らないため、タオルケットを担架代りにして運んでいただいた。そして、先に治療を受けた総合病院に受け入れを依頼しましたが、開業医で対応可能との理由で、受け入れを拒否され、以前行ったことのある開業医の整形外科で受診することになりました。


開業医の整形外科では、痛みはヘルニアから来るものとの判断でブロックを入れると言う痛み止め等を受けました。これで、なんとか動けるようにはなりました。MRIによる検査が必要とのことで、翌日に設備のある診療所へ行きました。7月29日、その結果を持って再度整形外科を受診しました。熱が出てきていて、発熱はヘルニアでは説明できないため、先に治療を受けた総合病院の予約をしてくれました。

結果として無駄な5日間を過ごしたことになりました。症状も進んでしまい、もはや自分一人では歩けなくなっていました。


娘から送ってもらって総合病院へ。前に治療を行ってくれた先生が対応してくれました。今度は緊急入院となり、その日から化膿止めの点滴による治療が始まりました。

入院して最初の3日くらいは本当に辛かったです。人生でもっとも辛かった時期と言えます。まず、右足の太腿部分に何かが当たると激痛が走ります。よく、看護師から痛みの度合いを10段階で表してくれと言われたが、文句なく「10」です。そしてトイレが辛い。トイレに行かないわけにはいかないので、その都度車椅子で送ってもらいます、ベットから車椅子に移る時と、車椅子から便座へ移るたびに激痛が待っています。もう一つ辛かったのにMRIの検査があります。MRIの検査は通常30分程度かかります。その間、痛みをこらえていましたが、とうとう耐えきれず止めてくれと言いいましたが、もう少しだからと止めてくれません。きっと患者が苦しむ姿を見慣れているからだと思います。ここでも相当苦しみましたが、なんとか検査を完了することができた。しかし、虚しいのは、ここまで苦しんで実施しても結果として意味のある検査ではなかったことです。


このころから手足に浮腫みが出たことを記憶しています。手足それぞれ順番の様に外見からもはっきりと分かる症状が現れ、回復したのは、だいぶ先のステロイド治療を初めてから1,2ヶ月かかったと記憶しています。


気分はいつもハットトリック ~皮膚筋炎闘病記~

50を過ぎてこんな人生が待っていようとは、 普通のサラリーマン生活を送り、定年も見えてきた50代半ば、指定難病である「皮膚筋炎」になってしまいました。まさか自分がいわゆる「難病」になるとは夢にも思っていませんでした。 この先どの様にこの難病と付き合っていくか、貴重だった時間が余ってしまっている今、闘病記録の整理と、同類の病の人に何かの参考になればと思い闘病記を書いてみることにしました。

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